道潅槇

ご由緒


ご祭神 応神天皇 (第15代天皇)
   進取的な事に霊験あらたかで、学問成就・家業隆昌・延命長寿・
   出世成功の守り神とされる。
ご由緒
   当八幡神社は、第59代・宇多天皇の寛平年間(約千百年前)に
   創祀されたものと伝えれ、第70代後冷泉天皇の永承6年に、
   鎮守府将軍・源頼義が奥州東征の途次此処に宿陣し、戦捷を
   祈願、後、康平5年凱旋するにあたって社を修め、盛大な祭を
   行い、武将を駐めて永く祀らせたという。社の南一帯の丘地を
   「館」としたことからこの辺りを”城山”と呼んでいた。
  --現在はマンションが建ち並びその様子をうかがう事は困難である-


   降って文明9年、太田道灌が石神井城を攻略するにあたり軍神祭
   を行い、社前に「高野槙」1株を植栽した。これが今なお社頭に
   聳える「道灌槙」である。天正19年、柏木右近命を受けて検地
   をするに及び 社殿を修復し、別当松永山不動王寺宮本坊大泉院を
   置いた。
   その後も村人の尊崇篤く、数度の御造営を経て現在に至る。
   平成23年3月には東日本大震災により、東参道の大鳥居が倒壊
   したが、氏子崇敬者の奉賛により同年9月、同規模の石造鉄骨入
   大鳥居を再建。 又 令和5年4月には 社務所を鉄骨造二階建に
   建替えた。